先週の土曜日、やっとこさ『エゴン・シーレ展』に行って来ました。
だって、この先は花見シーズンに突入し、最終日に近づくからもっと混むだろうから(日曜美術館でも放映されていたし^^;)。
かつて、『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々』(1981)という映画を観たことがある。
監督はヘルベルト・フェーゼリー、シーレをマチュー・カリエール、モデル&愛人ヴァリをジェーン・バーキン、妻エディトをクリスティーネ・カウフマンが演じ、音楽をブライアン・イーノが担当していた(!)
今となっては内容などすっかり忘れてしまったのだけど、捨てられたヴァリ(ジェーン・バーキン)の最後が壮絶だったのだけは微かに覚えている。確か梅毒か何かで亡くなったのだ。
(※シーレの父親も梅毒で亡くなったらしい)
19世紀のウィーンに生まれ(1890)、クリムトに「too much!」と才能を見い出されながらも28歳という若さでスキャンダラスな人生の幕を下ろした(スペイン風邪で)夭折の天才…というプロフィールがどうしても注目されてしまうエゴン・シーレ。
たぶん最初ダークな印象を持ってしまったせいで、かつての私はシーレに対して先入観で見ていたのだと思う。
でも、少し前から、そういう印象ではなくなっていた。
割とまともな人なんじゃないかと。
だからこそヴァリではなく、清楚なお嬢様風のエディトを選んだのかな、と。
そして、作品のテクニックに惹きつけられる。
他の作家の人たちとは全然違う。ひと目でシーレだとわかるって凄いことだ。
皮膚の下、骨や関節、血管…その奥底の苦悩まで透けて見えるようだ。
ある種の解剖学のようにも(身体と精神の)、球体関節人形のようにも感じられる。
どこかに既視感があって、影響を受けた人が多い感じがする。
ジョジョのポーズもシーレっぽい雰囲気を感じると思ったら、やはりそうらしい。