forest gardenの覚書

in the forest garden:映画/芳香/文体/猫/天使・・・魔法香水、作ります。

やっとこさ映画館へ。ビクトル・エリセ新作『瞳をとじて』と三宅唱『夜明けのすべて』を鑑賞。

長距離の引っ越しを昨年末に終えてから、まだ身も心も落ち着かなくて、たぶん春になって暖かくなってきた頃合に、何とか片付けにもスイッチが入りそうな感じ。

そんな風だから、映画館にもなかなか足が向かなかった。

ビクトル・エリセの31年ぶりの長編新作ということで、やっとこさ映画館まで出かけようという気になった。

gaga.ne.jp

主人公は映画監督ミゲル。

『別れのまなざし』撮影中に主演俳優フリオが失踪したためキャリアが中断して22年。海辺の村で野菜を作ったり時々短編を書いたり翻訳をしたりしてひっそり暮らすミゲルは、未解決事件を特集するTV番組の出演依頼を受ける。かつての思い出が錯綜する中、放送終了後、フリオに似た男が高齢者施設にいるという情報を受けるのだが…

 

その男は記憶を失くしており、ミゲルを前にしても、まるで物体を眺めるようだ。

主人公が映画監督という設定に、どうしてもエリセ自身を投影しないわけにはいかない。

しかも、この『別れのまなざし』はエリセが撮ろうとした映像を使用しているらしい。その映像と、それ以外の映像(長尺)では、映像の質が明らかに違う。いわゆる現代的というか。

さらに、本作ではアナ・トレントが本人の名前で登場しているのだ(『ミツバチのささやき』から55年ぶり)。

“人生に疲れ果てた”とか、“老いを克服できなかった”といったワードも、あたかもエリセ自身の映画人生を回収するかのような設定も、どこか現代的な要素に感じられる。

(どうしてもビクトル・エリセを伝説視してしまうのだけど、彼だってこの現代を生き延びて来たのだ)

過去作品やスペインの歴史背景をおさらいしておくと、この謎と映画愛に溢れた贈り物をより受け取れるのではないかと思う。

31年ぶりに、この映画を撮ってくれてありがとう、エリセ☆

 

そして…

やっとこさ映画館に出かけられたものだから、勢いづいたのか、翌日も映画館で三宅唱『夜明けのすべて』を鑑賞(原作は瀬尾まいこ)。

yoakenosubete-movie.asmik-ace.co.jp

PMS月経前症候群)のせいで月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢さんは、会社の同僚・山添くんのある行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。転職してきたばかりなのにやる気がなさそうに見える山添くんだったが、そんな彼もまた、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた。職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、藤沢さんと山添くんの間には、恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。やがて2人は、自分の症状は改善されなくても相手を助けることはできるのではないかと考えるようになる…

 

私の周囲では、恋愛に持っていかなかったところが良かった…みたいな意見が多い。

そこは私も同感だ。あと、交通事故が起こらなかったのも良かった(これは私の意見。松村北斗が自転車に乗る度にハラハラしながら観ていた^^;)。

ただ、人によっては、「丁寧に描かれているけれど、“優しい映画”」という言い方をしていたりもする。

言われて初めて「ああ、そうか、そんな見方もあるよね」と思った。

つまり、メンタル的にある種の障害を抱えて生きづらい主人公たちに対して、意地悪に接する人物が登場しない、優しい映画だと。そして、無駄なキャラクターも多いと。

確かに意地悪な人は出て来なかった。2人は周囲の理解に支えられて働けている。

でも、実際のところ、メンタルを病んでいる人に対して、気を遣ってしまう人は多いのではないだろうか。

これが混み合った大学病院とかになると、先日、母の車椅子を押す私に、邪険にぶつかって来て平気な感じの方々も見受けられたので、ケースにもよるのだろう。

職場などでの意地悪な人や登場人物の隅々まで丁寧に描くよりも、集中したかったことや原作との兼ね合いで、今回の作風になったのかもしれない(原作は未読)。

上白石萌音演じる藤沢さんは、日頃は余分に気を遣う性格なのだが、PMSでイライラが抑えられなくなると、ついブチギレてしまう(すごく理解できる苛立ちではある)。そのことを謝罪するために、さらに気を遣って肩身を狭めながら生きていたのが、山添くんとやり取りするうちにだんだんほぐれていく。

松村北斗演じる山添くんは、パニック障害の発作を恐れ、電車に乗れなくなってしまい、徒歩でしか行動できない。転職して来た職場で、何となく周囲を軽蔑しているような、ぶっきらぼうな言動だったのが、最初は苦手だった藤沢さんと接するうちに、いつしか職場環境に馴染み、仕事の内容にも前向きになっていく。

こうしたプロセスをきめ細かく描いている。2人とも病気を受け入れ、それなりに生きていく同志になったのだ。孤独ではないことによる気楽な余裕も生まれたというか。

張り詰めれば詰めるほど、メンタルに良くないからね。

明後日は、アリ・アスターの新作も観に行く予定。

やっと映画を観る生活が戻って来た感じかな。

 

Bon Voyage★