あっという間に過ぎ去ってしまった黄金週間。早い(いつものことだ)。
何かできたようなできなかったような、休養できたようなできなかったような、中途半端な黄金週間が終わり、冷たい雨と共に普通の日々が戻って来た。
これも、私が会社員の身分でまだいられるから甘受できるのであって、たぶん来年どうかはわからない、もしかしたらラスト黄金週間だったかもしれない。
そんな貴重な時の体験について、ちょっぴり備忘録として書き留めてみたい。
まず、GWのやりたいことの1つが、追悼 ジャン=リュック・ゴダール映画祭に行くことだったのだけど、どうしたって全制覇するには、これだけを目標にするくらいでないと難しいので、とりあえず好きな1本を。
『はなればなれに』(1964)@ヒューマントラストシネマ渋谷。
若かりし日のJLGのロマンティシズムやセンチメンタリズムが零れ出している、スタイリッシュな映画。
やはり若き日のアンナ・カリーナはシュッとしていて、チェックのプリーツスカートや黒っぽいコートがよく似合う。お洒落の教科書みたい。
劇場へのエスカレーターを上がる際、このラース・フォン・トリアーのポスターがちょうど目に飛び込んできて、思わず立ち止まってしまった…のだった。
ヤバいインパクトに戦慄する。
そして、もう1つの映画祭と言えば…
シャンタル・アケルマン映画祭PART2「シャンタル・アケルマンをめぐって」@日仏学院でのアケルマン最後の映画『ノー・ホーム・ムーヴィー』(2015)。
アケルマンの遺作であり、アケルマン自身が撮影をし、母親が映っているという…プライベート感たっぷりの本作。
キッチンが映し出されると、その既視感に呆然とさせられる。
まさにジャンヌ・ディエルマンのキッチンにどこか似ているし、処女作の細長いキッチンも、削ぎ落された原型のようだ。
なかなか切れない母娘のスカイプは、『家からの手紙』でのやり取りを彷彿とさせる。
この作品の編集中に母親が他界し、仕上がった後に、アケルマンも命を絶った…ことを知って観ているからかもしれないが、母親だけでなく、この作品自体、アケルマン自身も疲れているように見えてくる。
美しい部屋に響くささやかな生活音。荒野を吹き荒れる風…
読んだ本はと言えば、珍しいことに遅読の私が数日以内で読了した本が、ハン・ガン著『菜食主義者』。
ある日突然、菜食主義者になり、いっさいの動物性食品を口にしなくなる女性を取り巻く3人の人物の視点による三部作構成。次々と事態が明らかになっていくようで、謎も深まっていく。現代を生きる各3人も、精神病院に入ってはいないものの、どこか正常ではないことがわかってくる。
読み出したら、止められなかった。
こういうことは、私には珍しい現象だ、特に本に関しては。
対して、概ね周囲の評判が良い村上春樹の最新作は、なかなか読み進められない。
周囲、というのはブログ等SNS上での知り合いを指しているのだが、つまり、さほど趣味が合うわけでもないのだろうね。
映画でも、本でもなく、お出かけしたことと言えば、みどりの日の国立科学博物館附属 自然教育園だ。
みどりの日は無料開放日なので、毎年のように出かけている。
今回、改めて感じたのは、みどりの日に限らず、季節ごとに見るものがたくさんあり、最低月1でも訪れたいということだ。
都心の中でこんなに豊富な自然に触れられる場所は貴重だし、大切に守っていきたいという思いを強く新たにした。
帰りに近くのチョコレートショップ&カフェでカカオニブのソフトクリームを食した。
自然教育園の売店もノスタルジックかつ新たな取り組みが目覚ましく、「スパイTHEネイチャー認定」なんぞもしていただき、それら戦利品を閲覧しながら休憩タイム。
ついお土産も衝動買い。
他にお出かけとしては、ワタリウム美術館はメンバーなので(メンバーでなくても何度も通えるようなチケットになっているらしい)、できるだけ気軽に何度も生きたいと思っている。特に、今回の展示は、自由に遊びに来てほしいという美術館の願いを込めて、館内で長く過ごせるチェアーまで用意してくれているのだ。
美術鑑賞の後は、館内のカフェ腸内芸術でホットドッグをいただくのがおすすめ。
地下の本や1階のカード、雑貨類も品揃えが素晴らしく、ゆっくり過ごせる楽しい美術館だ。
…そんな、意外と盛沢山に過ごしたGWだったけど、できなかったこととしては、やろうやろうと思って用意していた「金継ぎ」だろうか。
ある大事なお皿を割ってしまったので、修復しようと目論んでいたのだが、内心ちょっと面倒くさいのかもしれない(やってみれば、きっと、楽しいのだろう)。
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ちょうどGWと時期を同じくして、我が家のベランダの薔薇が花ざかりで、部屋からベランダを見渡せるガラス戸から、その美しい姿を垣間見せてくれていた。
ニューウエーブという品種らしい。
2年前にうっかりひ弱な状態で入手してしまったのだが、その後のお手入れの甲斐あってか、だんだん丈夫に育ってきたようだ。微妙なモーヴっぽい色合いが素敵。
森のような公園に出向くのもいいけど、こうして目を楽しませてくれる自然が身近なベランダにあるのはささやかな幸せだ。
薔薇がないと生きていけないのはヨーゼフ・ボイスだけではなくて、自分もそうなのだと感じさせられる。